自治医科大学医学部同窓会報「研究・論文こぼれ話」その41 同窓会報第96号(2021年4月15日発行)

「忘れえぬ症例報告」              
                          自治医科大学医学部小児科学 小坂 仁



私が初期研修を修了した1990年頃より、MRIが急速に広まり、中枢神経系の髄鞘化を非常に明瞭に観察することができるようになりました。この髄鞘化が起きない大脳白質形成不全症;Pelizaeus-Merzbacher病の患者様の生前の診断が可能になりました。この疾患は、X-染色体のプロテオリピド蛋白(PLP1)に異常がある病気で、横浜市立大学精神科の大学院生・駆け出し医員であった井上健(現国立精神神経センター神経研究所室長)、川西千秋(現札幌医大精神科教授)、大西秀樹(現埼玉医科大学精神科教授)先生と、診療が終わった夜7時から夜中まで実験をして、遺伝子解析をしておりました。当時、遺伝子を読むということは、非常に労力の大きい作業であり、一人の患者さんの1遺伝子の塩基配列を決めるのの半年以上も要したこともありました。その中で女児例の患者様に出会いました。当時先天性の大脳白質形成不全症を起こす遺伝子はPLP1しか知られておらず、同じ病態を起こす遺伝子がほかにもあるのだろうと漠然と考えておりました。しかしどのように解析をしたらいいのか、当時はわかりませんでした。

私は40歳となり、いったん研究に見切りをつけ、若いころ勤務していた小児病院に戻り、もっぱら臨床に向き合う日々を送っていました。赴任して数年後、ずっと気にかかっていたこの症例に再び向かい合いました。当時は、遺伝病の原因を調べるには、多数の家系を用い連鎖解析をして徐々に、染色体の責任範囲を狭めていく方法が主流でした。私の経験したその家系は、近親婚であることが分かっていました。責任遺伝子近傍では父方と母方の両アリルが同一である(組み換えを起こしていない)ことから、当時横浜市立大学に赴任したばかりの遺伝学教室の松本直通教授にこの患者様の全染色体のマイクロサテライト解析を行っていただきました。父方のアリルと母方のアリルが同一である領域を、染色体上に最10程度見つけることができました。その領域中にある遺伝子のいずれかに遺伝子異常があると狙いを定めました。当時、マウスの遺伝子のうち、脳での発現がある遺伝子が3000ほどわかっていたので、大学生をパートタイムで雇い、その3000のマウスの遺伝子に対応するヒト遺伝子の遺伝子部位を3か月ほどかけて調べてもらいました。そうすると約200程度の遺伝子が10の候補領域内にあることが分かりました。この200程度の遺伝子のいずれかに異常を有しているはずでした。その病院には共用のシークエンサーがあったので、研究員の方と、1年以上かけて患者さんの遺伝子配列を読んだのですが、結局異常は見つかりませんでした。ある時、井上先生からのサジェスチョンに従い、それらの遺伝子の上流の部分を読んでいくことにしました。すると1番染色体の相同領域のほぼ中央に存在するGJC2という遺伝子の開始のメチオニンの167塩基上流に、正常と異なる配列があるのを見つけました。また幸いなことに、その2年前に、ラットでプロモーター活性のある10の塩基が同定されており、患者様の変異はその一つに対応しておりました。早速井上先生にお願いし、実際に転写因子SOX10 の結合が損なわれること、転写活性が失われることを証明していただき、症例報告しました(Osaka et al., Ann Neurol 2010)Lupskiという尊敬するベイラー医科大学の遺伝学の研究者より、”このようなケースレポートが非常に重要である”とコメンタリーをいただきました。20年越しの症例報告となります。

大脳白質形成不全症は、現在ではPLP1, GJC2の他15以上もの遺伝子が明らかになっています。若いころは、原因を見つけるだけで、精一杯でしたが、自治医大に赴任してからは、本格的に治療法の開発、特に遺伝子治療という根本的な方法を多くの先生方と協力して行えることの有難みをかみしめています。私の研究の出発点は、すべて症例報告から始まっており、その子のことを考えながら、研究を続けてきました。これからも子ども達の脇に立ち、優れた研究者の懸け橋となることで、新しい治療を自治医大から発信したいと願っています。



(次号は、自治医科大学医学部生化学講座病態生化学部門 教授大森司 先生の予定です)

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